名古屋のドン横が閉鎖 キッズたちはどこへ?
若者たちは、繁華街の象徴的な場所に近い公園や広場に頻繁に集まります。例えば、歌舞伎町のトー横キッズや名古屋市中区栄のドン・キホーテ横、「ドン横」、大阪の道頓堀にあるグリコサイン下の「グリ下」も、その代表的な例です。
トー横キッズという集団が一般的に認知されたのは、2021年頃であり、彼らは2018年頃から歌舞伎町の新宿東宝ビル横のシネシティ広場を待ち合わせ場所として利用し始めました。その後、彼らの間で犯罪や売春などの問題が表面化し、多くのメディアがこれを取り上げました。
メディアの注目が増すにつれて、未成年たちが救いを求めて集まってきています。彼らの中には、親からの虐待や精神的な苦しみ、地元での支援の不足など、さまざまな問題を抱えている子供たちが多いようです。日本全国で広がる「キッズ」の問題は、未成年者の問題だけでなく、大人たちが直面する問題として総合的に見るべきではないでしょうか。
名古屋のドン横も新宿のトー横と同じような状況ではありました。しかしながら、名古屋のドン横は昨年6月に再開発のために閉鎖されました。この閉鎖に伴い、そこで集まっていた若者たちは、名古屋市中区栄の別の公園に移動したと報告されています。
ドン横が閉鎖されて以来、若者たちはオアシス21や池田公園に分散したようです。池田公園は、周囲にホストクラブが多くあるため、若い女性たちがホストからの呼び出しを待っているのが目立ちます。
ホストクラブでは18歳未満の入店が禁止されていますが、明らかに18歳未満だとわかっていても年齢確認も行わずに入店を許可する店もあるようです。
キッズたちは何を求めて集まっているのか?
そんなキッズの多くは、「居場所を求める若者」です。家庭環境が厳しいために家出したり、学校に行かなくなったりする子供たちが集まっています。 自分と似た境遇の仲間がいることで、救われる。現代の若者たちにとって、ドン横やトー横はそんな大切な場所として機能しているのです。
実際にドン横で援助交際をする少女に話を聞いた
家庭や学校といった場所に合わず、どこにも身を置く場所がない。昨年の冬、中学生のサキ(仮名)と出会いました。彼女は2週間も自宅に帰らず、生活のほぼすべての時間を名古屋のドン横で過ごしていました。
サキの両親は幼い頃に別れ、母親との生活が長かったといいます。母親は頻繁に外出し、彼女は自分ひとりで過ごす時間が長かったそうです。その結果学校に溶け込めず、不登校になったそうです。
「家に帰っても、親は何も言わない。話さないし、ただいるだけ。母親は常に異なるパートナーの男がいて、私は放置されることが多かった。私は親に必要とされていないんだなと感じました。ここにいる方が心が落ち着く。話を聞いてくれる人がいたり、助けてくれる人がいたりするから」
ただ女子中学生がここドン横で生活していくことは容易ではありません。まず仕事がない。。中学生は通常、卒業してからでないとアルバイトをすることができないからです。そこでサキはツイッターで「パパ活」の相手を探し始めました。いわゆる大人の関係ありの援助交際です。新宿では大久保公園周辺が売春をする女性の立ちんぼスポットになっていますが、名古屋ではそういう援助交際の相手を見つけられるような場所は少ないからです。
ツイッターで募集をしてすぐに「ゴム無しのエッチで5000円でどう?」という返信がありました。サキは少し悩んでいましたが、「オヤジと生でエッチして5000円、キモイけど生きるためだから仕方ないよ」と言って夜の街に消えていきました。
そして筆者はまた別の少女、里香に話を聞いた。
家族を愛しながらも、家にいることがつらい少女の現実
家庭というべき場所が、苦しみの源となることもある。16歳の里香(仮名)は、家族を深く愛しながらも、家に帰ることができない日々を送っている。彼女の物語は、多くの若者が直面している現実を浮かび上がらせる。
幼い頃に両親が離婚し、その影響で自己責任を感じてきた里香。「ママとパパが大好きだったから、離婚の事実が受け入れられなかった」と彼女は語る。その後、母親と妹との生活が始まり、経済的に厳しい中での新たな生活がスタートした。
里香の母親は、深夜のコンビニのアルバイトをして家計を支え、貯金を切り崩しながら彼女たちを養っている。学校で必要な体操服など、必要なものをすべて母親が支払ってくれるが、そのたびに里香の心は痛む。「ママは私が喜ぶ顔を見たいだけなのに、その思いが逆に辛い」と彼女は打ち明ける。
家族を思いやるあまり、本当の感情を隠し続ける里香は、次第に家に居場所を見失い、家を出て「パパ活」で生計を立てるようになった。しかし、彼女の心の中では、家族への責任感と、自分自身を守るための葛藤が交錯している。
去年のクリスマス、彼女は過剰な市販薬の服用で意識を失い、救急車で病院に搬送された。意識が戻った後の里香の最初の言葉は、「お母さんには言わないで」というものだった。病院での一件後、母親は彼女を家に迎え入れたが、翌日里香は再びドン横へと戻っていった。
「家にいると、心が苦しくて。でもドン横なら、悲しみが見えなくなる。ここは私の居場所かもしれない」と里香。彼女のように、居場所を見つけられずにいる若者は少なくない。社会がこれらの声に耳を傾け、必要な支援を提供することが急務である。